会長のコラム 273
2025年6月のコラム273号です
私事で恐縮ですが、昨年の9月に米寿を祝って貰い、良い気分で新しい「人生の旅立ち」気分でスタートと思いきや、健康診断で何やら難しい病名の疾患宣告を受ける。住まいの高齢者向けマンションの専属医師に聞くと「世間で言う『白血病』だよ」と、さり気なく宣告。
この病は「治る病気ではない」と言う。「高血圧も治ることは無い。毎日薬を飲んで、血圧を抑えている。白血病も同じ様に薬を飲んで、抑えるだけ。だから白血病も同じ様なものだよ、心配する事無いよ」とあっさりと言い切る。しかし、私の知る白血病は、不治の病と言うイメージが強く、人生の終着との思いが先行し、身支度を急がねば、との思いが先行する。この落ち着かない思いが、生活環境に忍び込み、苦しめられる昨今である。
確かに薬を飲むだけで、日常は何も変わった事が無いのだが、歳のせいで物忘れが多くなる。眼鏡の在処、腕時計の在処、携帯電話の在処、等で探し回る。この「ボケ」は飲んでいる薬の薬傷か、等と思ったりすると、今飲んでいる薬が気になるのだ。世話になっている整体師にそれを言うと「そうだ! 違いない、その薬止めてしまえ、俺が面倒みる」とケシ掛ける。
左眼は数年前から失明で、医者は「見える様に回復することは無い」とハッキリ言う。以来車の運転は止めた、ゴルフもやめた。耳も遠くなるが、連続性のあるストーリー性の話や音楽を聴くには不自由しないから助かる。
家内が、私を置いて逝去し、4年と数か月になる。今の私は、横浜の高齢者向けマンションに入居し、20年が経過する。実生活面では何不自由無く生活しているが「自分自身が落ち着かないだけ」 もし今も相模原の自宅で生活していたらどうかと思うと、今の生活環境は天国のようなものと思える。心休まるのだから「我儘はいい加減にしろ」と自分に言い聞かせている。
湿っぽい話で恐縮、この辺でおしまいにします。
今月の音楽ライフ
6月3日14時開演で、新国立劇場の オペラ/ロッシーニ作セビリアの理髪師 に行ってきました。
このオペラは、メロディー・メーカーのロッシーニ作で、ストーリーは恋のドタバタ劇で他愛が無いのですが、ロッシーニのメロディーにのった恋物語が後を引く、お馴染みのオペラです。
当日のキャストで、主役のロジーナ役の脇園 彩を囲む3人の男性が全て外国人で、脇園のロジーナ役が際立ち、本公演の大きな演出効果を果たしていたのが強く印象に残る公演でした。
新国立劇場ならではの公演と言えましょう。